青木ブログ

植村直己という存在

皆さん、生きてますか〜?

いきなりすいません。。。
もちろん、生きてますよね!
私も一応なんとか生きてます。

日本人として初めてナショナルジオグラフィックの表紙を飾った顔は、まさに「生きてる」という顔でした。
そうです、植村直己さん(以下敬称略)です。

少し昔話をしますと、(いつも昔話ばかりですいません。)

私が子供の頃は何をやっても長続きせず、何をやってもつまらないという子供でした。
その頃は大阪に住んでいたのですが、
はじめて親と幼稚園の見学に行ったときに、少し年上の子供たちが踊りをしている姿を見て、
「母さん、早めに断っといてや」と言ったそうです。
集団行動が苦手で、よく喧嘩もしたそうです。
従兄弟は僕の顔を見ると「悪い子が来たよ」と言って逃げたとか。
習い事もクラブ活動も周りがやってるから、親がやれというからやっているだけで、没頭することはありませんでした。

唯一続いたのは、遊ぶということ。
幼稚園に収容されたあと、
自転車に乗れるようになって、親の目を盗んで脱走し、あっちこっちに遠出してはよく怒られていました。
自転車で近くの川や池に行き、魚やザリガニを釣ったりすることに没頭。
今思うと、遊びの中では集団行動ができたのは、きっと遊びには自信があったからだと思います(笑)
特に田んぼの中でスルメを使ってザリガニを釣り、殻をむいては、その肉を糸に縛り付けてエサにし、今度は池でザリガニを釣るみたいなことが楽しくてしかたなかったのです。

小学6年で大阪から千葉の幕張に引っ越しました。
埋め立てが進んでいた幕張は、数年後には幕張メッセができたのですが、当時は何もない土地でした。
大阪と比べるととても寂しい雰囲気。
汚い海と汚い川があるだけで、埋め立ててフェンスで囲われた広大な空き地があるという印象です。
中学生になると、周りの同級生は部活や塾やら習い事に忙しくなり、外で遊ぶことが少なくなっていきました。
野球部に入りましたが、半年くらいで辞めてしまい、同じように暇な仲間とつるんでプラプラしているような日々。
その頃、親に「お前は将来何をするんだ?」と聞かれ「高校には行かないでテキ屋でたこ焼き売る!」と答えるくらい、いい加減な生き方をしていました。(子供の頃からたこ焼きが大好きだったんですね。)
特に、夢とか目標というものはありませんでした。

その後、幕張から千葉ニュータウンに引っ越し、環境は大きく変わりました。
千葉の田舎という感じで、栄えてはいませんでしたが自然がとても豊かな場所。
遊べる場所に引っ越したわけです。

そんなある日、偶然テレビで「植村直己物語」を見たのです。(前置きが長くてすいません。。。)

まさに衝撃でした!

こんなにも精一杯生きてる人がいるのかと驚きました。
そしてその内容がまさに「遊びで生きてる人がいる」と思うほど、ワクワクさせてくれたのです。(主演の西田敏行のことを植村直己と思い込んでいた)

兵庫の田舎から明大農学部に入り、山岳部に入部するところから始まり、就職もせずに、アメリカからフランスへとお金を稼ぎながら渡り歩き、
ヒマラヤの山々を登り、高みを目指し、その後は極地を目指していく。
登山家であり、冒険家。そして時には探検家的な一面も。
そんなワクワクドキドキする人生を歩んだ植村直己に憧れてしまったわけです。

さっそく、真似をしました。
毎日通学路で見ていた、竹やぶに捨てられていた古くてボロボロのマウンテンバイク。
まずはこれを拾って(救って)自宅に持ち帰り、少しずつ直していき、色も塗り替え(盗難対策の偽装工作ではありません)、なんとか乗れる状態にしました。
当時は中学生です。旅の資金集めができるアルバイトは唯一、朝の新聞配達員(自転車)。
時々寝坊して怒られながらも1年近くやりました。
この時、家の前で新聞が来るのを待ってる人がいるということをはじめて知り、働く意義のようなものを感じました。
このアルバイトで稼いだお金で、テントや寝袋などを買ったり、旅費にしたと思います。

直した自転車に乗り、友人と房総半島一周をしたり、自転車で筑波山に登ってみたり。
ちょっとした冒険でしたが、とても充実していました。
全ては自分が立てた目標を実行するために必要な経験を積んでいくという生き方にとてもワクワクしたことを覚えています。
いつか自分も植村直己のように誰も行ったことがない、見たことがないような場所に行ってみたい。
高校に行く理由もでき、将来は大学の探検部に行きたいと考えるようになりました。

今、こうして林業の世界に入り、
林業には不向きな山と言われていた東京の奥地で、
何か、新しい、そしてワクワクするような仕事をしていきたいと思います。

植村直己は数々の名言を残していますが、著書の中でこう述べています。

「ひとつのものが終わると、またつぎの新しいものがはじまる。私の気持はいつも新鮮だ。」

植村直己が単独行で偉業を達成したことを真似するのではなく、
その生きる姿勢を見習い、
林業の世界で、植村直己のようにいつも新鮮な気持ちでいたいですね。

「生きてる顔」って必ずしもいい顔とは限りません。
必死で疲れているような顔かもしれません。
不安で怯えているかもしれません。
泣きそうになっているかもしれません。
でも、生のエネルギーが伝わってくる。
そんな顔ができるような生き方をしたいと思います。

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